ごあいさつ 江上 環(えがみ たまき)牧師

浦和教会の牧師の江上環です。浦和教会は、全ての方々をいつでも歓迎致します。教会は怖いところではありません。
人生の苦しみや悲しみを経験さたといる方々に、神様は将来に光を、希望を与えて下さいます。神様はあなたを愛しておられます。あなたの存在を喜んでおられます。
あなたの将来を祝福しようと願っておられるのです。ぜひ、浦和教会に気軽に足を運んでみて下さい。あなたのお越しを心待ちにしております。
[疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。](キリストのことば)
牧師紹介

私は浦和教会の牧師江上環(たまき)です。
私は、九州の熊本県天草に生まれました。
兄二人、姉二人の五人兄妹の末っ子です。父が船員をしており、私が幼稚園に入る前に神戸に引っ越ししました。キリスト教主義の幼稚園に通い、そこで聖書の言葉や祈りに触れましたが、幼稚園を卒園すると忘れてしましました。
私が小学校5年生の時、日本ナザレン教団神戸平野教会で開催されたバザーに参加しました。そこで後藤一郎先生という教会学校の先生に出会い、バザーの会場に後藤先生の書いた絵画が多く置かれていて、その絵に興味を持ちました。
バザーを楽しんで帰る時、後藤先生が「来週の日曜日に教会学校があるからおいで!」と言われました。そのことを忘れていたのですが、日曜日の朝、その先生の「来週の日曜日に教会学校があるからおいで!」という声が思い出され、生まれて初めて教会、教会学校に行きました。
後藤先生の楽しいお話し、聖書の絵画を通してのお話は本当に魅力的でした。小学校五年生から中学3年生まで、教会学校の担任の先生は後藤先生でした。先生は私たちに聖書の話、神様の話をして下さいました。
中学三年生の時、特別伝道集会があり、神様の特別な導きで、自分の心に罪があることを認め、その罪の身代わりにイエス・キリスト様十字架にかかり死んで下さり、墓に葬られましたが、三日目によみがえり神様であることを示されたことを信じて救いの恵みに与り、中学三年生のクリスマス礼拝で友人と共に洗礼を受けることができました。
高校生になり教会学校や各家庭で持たれていた子どもの集会のお手伝いをしました。経済大学に入り、教師を目指し、教職課程をとり、教員免許の試験を受けましたが、不合格になり、大学を卒業して、再び教員免許の試験を受ける準備としていた時、関西聖書神学校で開催された塩屋聖会で、牧師になるという献身の思いが与えられ、関西聖書神学校に入学し、学び訓練を受けました。
ナザレン教団の教職になるために、関西聖書神学校を2年修了して、日本ナザレン神学校に入り学びました。ナザレン神学校を卒業して、下北沢教会(1年)、奈良西和教会(13年)、青葉台教会(25年)の牧師となり、2025年4月から浦和教会の牧師となり、青葉台教会との兼牧となりました。
妻と息子、娘4人です。娘二人は結婚しています。孫は3人。
車の運転が好きで、野球は読売巨人軍のファンです。大谷翔平選手の活躍で勇気をもらっています。中学生時代は柔道部で黒帯です。とにかく食べることが大好きで、体重もそこそこあります。毎日ウォーキングしています。
私が教会に来たキッカケ

初めて教会に行ったのは、戦後のまだ物のない時期。近くの女性宣教師の和室、一部屋の教会でした。その時、教会学校でもらった豆カードは今も大切に持っています。その後は近所のお姉さんの教会に付いて行っていました。カトリックの教会で、行くのはたまにでしたが教会に行く習慣ができました。高校の頃は学校の帰りに人気のない会堂の椅子に座って、受験のプレッシャーを乗り切れました。教会はいつでも入れる場所と思っていましたが、そうではないと知り、私は幸運だったと思っています。
信仰は持っていませんでしたが、宇都宮の松が峰カトリック教会は心の休まる場所でした。大学では教会を紹介してもらいましたが、特別親しくしてくれる人もいないし、まじめでもなかったので、卒業と共に終わりました。もう、四十四、五年前になりますが、結婚後浦和に住んでいると、教会の特集のチラシがポストに入っていて、教会を訪ねたことから浦和教会に導かれました。
牧師の関谷先生ご夫妻が大学の先輩で、私の出席をとても喜んで下さり、それで今まで続きました。洗礼はゴールではなく、始まりとお聞きして昭和四七年十二月に受洗しました。それまでに婦人会や家庭集会に出席したり、美代先生や教会の姉妹方が家に来て下さった事もありました。
直接の決心は、父の死や子育ての中で自分の力ではどうしようもない事にぶつかり、神の庇護が欲しかったのです。
きちんと日曜日を聖別するようになったのは、教会学校の奉仕をするようになってからです。子供達のために、「まず休まないこと」と決めました。CSが無ければ、来たい時だけ来るというような私のいい加減な性格を見抜いて関谷先生がCSの教師を薦めたのだと思います。聖書の学びや礼拝で子供達の前で話す時に知識中心になっていたように思います。
日曜日の朝毎に私が教会に行くのを嫌う主人とのゴタゴタや友人や母に言われたりと大変でしたが、私はCSに育ててもらったと思っています。会計の奉仕をN姉とするようになって、「お金」という信仰とは別の現実を見てしまって信仰心が薄れてしまって元の気持ちに戻れないのが今の悩みです。また、一方では、教会が楽しくなったりで 「これで良いのか」と思ったりしています。祈祷会のことですが、関谷先生が長い間「十名の出席」を祈っておられました。今は礼拝前の祈り会で九名の時もあり、何とか十名が満たされるよう願っています。

私は今、老人の施設に入っています。一人静まる時、生まれた時から今日に至るまで計り知れない神様の御愛の中に導かれたという感謝の思いと、この御愛を伝える事ができなかったという申し訳ない思いが交錯しています。
私はクリスチャンホームに育ちました。両親は無教会派のキリスト同信会の信者で私の子供の頃、牧師さんがいらっしゃるとその晩泊られるので、夕食後遊んでいただけるのを楽しみにしておりました。
兄弟八人、両親のお祈りのお陰で仲良く育ちました。私が女学校三年の時終戦を迎え、この戦争で長兄と長姉の連れ合いが戦死しました。
両親の悲しみはどれ程だった事でしょう。
私は学校を卒業してから家業の店を手伝っております時、義兄の妹さんの紹介で東京チャペルセンターの聖歌隊に入れていただきました。すぐに洗礼をすすめられ、何もわからないまま洗礼を受けました。
聖歌隊の日々は本当に楽しいものでした。しかし風邪がもとで肺結核と診断され療養生活に入りました。失意のどん底に落とされましたが、退院間際に牧師さんがいらしてバイブルクラスを始められ二回出席する事ができました。そこで浦和教会のSさんにお会いし教会に導かれたのです。それから六十数年神様の御愛の中、今日まで導いていただきました。本当にお世話になりました。
浦和教会は、今年(2025年)創立七十四年を迎えました。そして五年前神様のお導きと多くの皆様方のお祈りの中、立派な会堂が与えられ礼拝が行われております。今年度は青葉台教会より江上先生をお迎えし、青葉台教会の皆さんとご一緒にオンラインでの礼拝が捧げられています。一度しか生きられない人生でイエス様と出会い、こんな罪深い者を救っていただきました。一方的な神様の御愛の中に、多くの皆さんの祈りの中に、恵みから恵みへと導いていただきました。
しかしこれ程の御愛を、あの人にもこの方にもしっかりお伝えできず申し訳ない思いでいっぱいです。浦和教会の愛唱歌は、「村の小さき教会」です。四十年、五十年先の浦和教会が今もそこにありやと賛美できるよう祈らせていただきます。
